2006年 03月 05日
名物にうまいもん有り~ |
病院のお友達のリクエストで堺名物「かん袋」の「くるみ餅」を買いに行きました。
妹の車に乗せて貰ってスーパーのまえにちょっと寄り道。
久々に入ったお店の中は相変わらず人がいっぱいでした。
友だちの分と家の分のお土産を注文して、待ってる間に妹とくるみ餅を食べました。
私は普通のくるみ餅。妹はかき氷の乗った氷くるみ餅(そんな名前じゃなかったかも??)
緑色の餡にくるまれたお餅は柔らかくて美味しかったですよ。
昔から「くるみ餅」って大好き。
氷を乗せると餡の甘さがちょっと軽めになってそれもまた美味しいんだけど、
寒そうなので普通のにしました(笑)
でも妹の氷を少し貰って乗せて食べたら、やっぱりおいしかったわ~~♪
<かん袋の由来>
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
<くるみ餅の出来た頃>
室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。
<氷くるみ餅>
明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。
二十七代 かん袋主人 敬白
「かん袋」HPより
妹の車に乗せて貰ってスーパーのまえにちょっと寄り道。
久々に入ったお店の中は相変わらず人がいっぱいでした。
友だちの分と家の分のお土産を注文して、待ってる間に妹とくるみ餅を食べました。
私は普通のくるみ餅。妹はかき氷の乗った氷くるみ餅(そんな名前じゃなかったかも??)
緑色の餡にくるまれたお餅は柔らかくて美味しかったですよ。
昔から「くるみ餅」って大好き。
氷を乗せると餡の甘さがちょっと軽めになってそれもまた美味しいんだけど、
寒そうなので普通のにしました(笑)
でも妹の氷を少し貰って乗せて食べたら、やっぱりおいしかったわ~~♪
<かん袋の由来>
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
<くるみ餅の出来た頃>
室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。
<氷くるみ餅>
明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。
二十七代 かん袋主人 敬白
「かん袋」HPより
by a-hiruc
| 2006-03-05 20:57